蒼夏の螺旋 Stray puppy in 年の瀬


 今年もいよいよ押し詰まり、街もどこかしら忙しなく。一般企業の大概は昨日か今日が仕事納めだそうだけど、だからって休める訳じゃあない。最後の忘年会が明けての、残り数日。今度は年末年始の家内のばたばたに参戦することになるだけの話。さあお父さんも頑張ってと…お片付けはさすがに手際の点では奥方にかなう訳もなく、力仕事や庭の整理、家電機器のメンテナンスなどが言い渡され、帰省するなら大きな荷物を担がされ、ここは大黒柱の腕と力の見せ所とやっぱり大変なのには違いなく。

  “…まあ、ウチはあんまりそういうのはないけどな。”

 もうとっぷりと暮れているせいで、黒っぽい鏡のようになった車窓に映るは、今年は早めに出したコートを着込み、相変わらず代わり映えのしない短い髪をした自分の、愛想もへったくれもないお顔。そんなものに見とれてたってしょうがなく、ぼんやりと考え事に意識を逸らす。今年も正月の帰省は予定にないし、大掃除や正月の準備は、
『ご近所の奥さんたちと情報を交換し合って、買い物とか進めてるから』
 小さな奥方が“任せといて”と胸を叩いていたからね。高いところにあって、しかも取り外しとかがややこしいらしい、換気扇やら照明器具やらの分解掃除くらいはさせていただく所存ではあるものの、毎日変わったところもないままに、朝は見送り晩は出迎えしてくれているところを見ると、さして逼迫してはいない状況にあるようで。それでも、
『明日から休みなんだろ? 大物の買い物に付き合ってくれよな?』
 秋口に駅向こうに大っきなスーパーが出来てサ、普段はまだあんまり使ってないんだけれど、明日はビールとみかんとジャガ芋の売り出しがあるから、あとあと本マグロの解体販売もあるって言うから、車を出してほしいんだと、出掛けに念を押されてもいる。御用納めの日ともなれば、忘年会とはまた別口に、職場の親しい人たちとの飲み会だのがあるのかも。それで遅くなられては困る…とまでは言わないけれど、いくらお酒に強くてもほどほどにしておいて下さいねと、そうと告げたかった彼なのに違いなく。
“まあ、クリスマスからこっち、ずっと連チャンだったからなぁ。”
 それなりのポジションにつくとお付き合いも広がる、知名度だって上がる。春から始動の大きめなプロジェクトへと名を連ねていたせいか、年末・迎春関係の企画やイベントは担当していなかったものの、それが却って断り切れない理由にもなりで。そんな訳で、忘年会は例年よりも多く運ぶこととなってしまった彼であり、
“だからって繰り出し過ぎたか、酔っ払った振りはもう効かないみたいだったけど。”
 ザルどころか枠
ワクほどにも、アルコールには呑まれない豪傑のくせに。ほろ酔いなんですようと足元も危なげに帰って見せては、小さな奥方に凭れかかったり絡まったりと、あり得ない容体をして見せる悪ふざけがちょいと過ぎたので、それもあっての“クギ”の代わりの一言だったのかもと、そこはさすがに少々反省。
“…っと。”
 そろそろ乗り換えの駅へと到着する。コートのポケットへと手を入れると、スーツから移しておいた携帯電話に触れてみて、もうすぐだなと胸躍らせるあたり…。帰るコールの準備を忘れなかったり、そのまま にやけかかったりするご亭主の、相も変わらぬ新婚ぶりへ、

  ――― 同居を初めてもう何年になるんだ、あんたらはと、

 筆者が呆れてもしょうがないことだと思う人、手を挙げて。
(こらこら)






            ◇



 そうは見えないかもしれないが、実は実は。随分と急いでの早足で、駅からマンションまでを帰って来た彼であり。誰もが寒さで身が縮こまっているこの時期に、それは軽快なストライドで舗道を急いでいた彼は、まずはそんな様子から人々からの目を引き、続いて、そのすらりとしまった肢体や長身から、主には女性たちからの注意を集めてしまってた。それでなくても印象的な存在だったから、彼を知っている人ならば尚のこと、視野の中に見つければ…やっぱりついつい眺めてしまうような殿御であり、
「あらあら、今お帰り?」
「ええ。」
 そちらさんは丁度お出掛けするところだったらしい、同じマンションの住人、どの階の方だったかまでは覚えていないが、確か奥方がいつもお菓子をいただくと言ってた世話好きなご婦人だと、それは何とか思い出し、すれ違いざまで失礼ながら、それでもお顔はそちらを向けて、きちんと目礼を示して見せる。ともすれば不遜で、何よあんなおざなりなご挨拶しか出来ないなんてと怒られそうだが、
“お留守番してるルフィちゃんが心配なのねぇ。”
 可愛らしいお兄さんだことvvと微笑まれてしまう、マンション中で有名なお兄さんたちだったから。特に咎められることもなく、大きな背中を見送られただけ。そういえばルフィちゃんの方、今日はあいにく顔を見なかったわねぇ、風邪でも拾ったのかしらなんて、小首を傾げながら出て行かれたご婦人ではあったけれど、幸いなことにそれはない。急に寒くなるよりちょこっと前に、しっかり
(?)風邪を引いてしまってた旦那様だったせいだろか。その後の…12月に入った途端に襲い来た、急な寒波の到来にも大して慌てることはなく。奥方も共々に暖かな装備で過ごしたお陰様、風邪とかインフルエンザとかには無縁なままの年の瀬を迎えることとなったお若いご夫婦。某有名商社の企画部のホープと評判の、奥方からもご自慢の旦那様はロロノア=ゾロといい、学生時代はずっとずっと、剣道にばかり打ち込んでいた、所謂“武道バカ”だったので。腕やら肩やら背中に胸にと、見かけだけでは勿論なく、膂力も半端じゃあないほど蓄えし、筋骨も隆と張って逞しく。上背があって存在感の重厚さもただならず、今時の人にはないくらい頼もしいのはともかくも。道を極めんとするあまり、自分へ厳格だったところが色濃く残っての、鋭角的な面立ちにまで要らぬ効果として滲むほど、頑迷なまでに融通が利かないところが多々あった彼でもあって。悪い人ではないのだけれど、なかなか取っつきにくくってと。遠巻きにされることが多かったのだけれども。そんな難点もこの数年であっさりと解ほどけた。そういう“気性”にかかわる性質は、なかなかどうして簡単には変わるものでもない筈なのだが、そんな彼のすぐ傍らへ、寄り添うように現れた存在があったから。小さくてお元気で人懐っこくて。誰とでもすぐさま“胸襟を開いて”というほどもの仲良しになれてしまうような、お日様みたいな男の子が同居することとなり。それからは少しずつ、それまでの彼と数年程度でもお付き合いがあった人には飛躍的に、融通が利かないわ取りつく島はないわだった筈の彼へと、温かみや馴染みやすい柔らかさが増えてゆき。それがますますのこと彼の人柄へと深みを加え、格段の成長を促して…本人が開拓したお得意先をもがんがんと増やしていった今に至るのだけれども。そんな“成長”とか“大人としての懐ろの深さ”だとかいったあれやこれやも、今だけはちょいとどっかへ置いといて。
“………。”
 エレベーターには最初から乗る気はなく、階段を一気に駆け上がって目的の階まで。デザイナー何とかと呼ばれる物件ほどには、フラット内も共用部分もさして凝ってなぞいない分譲マンションのそれにしては、少し広めのお廊下を急ぎ、自宅の前へと到着すると、鋼の扉の傍らに据えられてあったドアチャイムを押してみたが、
「………。」
 やはり。何の反応もない。ノブに手をかけたが、鍵がかかっているのか堅い抵抗が返って来るばかりだったので、ポケットをまさぐるとキーケースを取り出し、少々焦りの見える所作にてそれでも手早くドアを開けば。
“…電灯もついてない、か。”
 クリスマスまで…正確には冬至までは、陽の暮れる時間が日々早まるものの。それを過ぎれば今度は陽が長くなるせいで陽が暮れる時刻は遅くなる。立春の頃までは明け方、夜が明ける時間が遅くなるので、そこからの繰り越しも加わって、10分以上は明るかったりするのだが、そんなもんの影響なぞ全く関係ないほどに…人の気配が欠片ほどもない。早く帰って来てねと言う代わり、明日のお買い物に付き合ってねなんて言って送り出したくせに、
“…どこに出掛けているんだ?”
 家事に縛られる子なんかじゃあない。PCインストラクターの資格を取ったり、ここいらのお子たちが参加する野球やサッカーのジュニアのチームのコーチを引き受けたりと、結構忙しい身の上だけれど。それでも夕刻、陽が暮れる頃合いになったれば。大好きなゾロが帰って来るのを待ちながら、少しずつ腕前を上げてるお料理を用意しもって待っててくれる。最後の乗り換えの駅から“今から帰るよ”というお電話をくれる、それを今か今かと待ってる彼であるはずなのに。そんな“帰るコール”に出なかったのみならず、この、裳抜けの空なことを示す、冷えきった家の様子は何を表すか。
“出掛けているだけだってんなら、電話にくらいは出られるだろうに。”
 薄暗いキッチンの明かりを灯せば、ダイニングのテーブルの上には…買い物から帰ったばかりだと思わせるような、買って来たものが入ったままのトートバッグが丸ごとと、それから…携帯電話が投げ出されてあって。成程それで、圏外の通知もないままに呼び出しの音ばかりが続いていたのだと得心はいったが、
“携帯も持たないで、どこへ?”
 今時では“財布も持たないで”以上に、奇異なこと。ルフィがそういうサービスを利用しているのかどうかまでは聞いていないが、今や財布の代わりまで出来てしまうのが携帯電話だってのに、これを置いていなくなっているのが大いに不審で、
“…………いやいや、まさかな。”
 ふっと。良からぬ予感が浮かびかかったのを、わざわざ頭を振ってまで振り払う。誰か良からぬ賊により、攫われてしまった彼なのかもと、思ってしまったゾロだったが、昨年に一度、窓から侵入した泥棒によるすったもんだがあってからは、ここの警備もかなり厳重になっているし、ルフィ本人だって用心深くなっている。年末になって物騒になって来てもいることだしと、子供たちへ注意を呼びかける側のコーチのお兄さんでもあったりするのだからして、そう簡単には油断を見せることもない筈で。
“争ったりした跡もないし。”
 そういえば、玄関先の三和土にルフィの普段はいているスニーカーもなかったし。自分の意志で飛び出してったと見るのが正しいと思われて。
「………。」
 だとして、どこに行ったか、何でこんな時間まで戻って来ないのか。携帯を忘れてったとはいえ、ゾロへの連絡が出来ない筈はない。絶対数は減ったらしいが、それでも公衆電話はなくなった訳じゃあないのだからして、コンビニ前やら駅前やらから、掛けて来ることは出来るはず。番号を覚えてないならないで、ここの固定電話の番号は電話帳に載せているので、やはり調べようもある筈で、
“…ぼんやりしていてもしようがないか。”
 ルフィの携帯を手に取ると、悪いとは思ったが場合が場合、メモリを開いてアドレスの一覧を液晶へと呼び出す。お友達らしき人の名前から順番に掛けてみて、心当たりはないですかと聞いて回ろうとしかかったのだが。

  ――― ことり、と。

 そんなかすかな気配が少し遠くから聞こえて。それから、表のドアがガッチャと開く音。ハッとして顔を上げ、そのままキッチンを飛び出せば、俯き加減の気落ちした様子にて、上がって来た小さな影があり、
「…ルフィか?」
 照明が点いてたことから、ゾロが先に帰って来ていたことへは気づいていたのだろうけれど。
「………。」
 何だかやっぱり様子がおかしい。ごめんネごめんネ、大急ぎの御用があって。そうなんだ携帯持ってくのも忘れてて…と。日頃の彼なら、それがどんなに大変だったかを意気揚々、それはお元気に楽しげに、語って聞かせてくれる筈。晩ご飯の支度を放り出してたこと、ゾロからの電話に出られなかったこと、それらへ気まずいなと思い、気が引けている彼ならそれで、やっぱりきっぱりと、まずは“ごめんなさい”を言うはずで。
「ルフィ?」
 ゾロにしてみれば叱るつもりは毛頭なく、ただ、何も言わない不審な様子なのが気になってしょうがない。叱られる前に自己完結してしまい、逆に不貞腐れるような ねじけた子じゃあない。まだまだ寒いのにずっと外にいたのなら、もしかして…具合が悪いのだろうか。今頃になってそうと思いつき、大きな手のひらを額へと差し入れてやると、
「…ぞろぉ…。」
 触れただけでまだ温かさを測るどころではない内から、か細い声が聞こえて来て。んん?と少しほど腰を屈めて、小柄なルフィのお顔を覗き込めば。
「…ルフィ。」
 目許が真っ赤だし、表情も引き歪んでおり、どこかが痛いか苦しいか。出先で容体が悪くなったかと、真っ先にそれを心配し、有無をも言わさず抱え上げる。
「寒かったろうに。ああ、顔も手も冷たいぞ?」
 まだコートも脱がぬまま、大切な奥方を掻き抱
いだくと、奥の寝室までを飛ぶように移動する。ここもやはりすっかりと冷えきっていたのでと、壁に手をやり照明を灯してから、エアコンも稼働させ。広々としたベッドへとそっと降ろせば、
「〜〜〜〜〜。」
 小さな手が旦那様のコートの胸元を掴んで離さない。寒いのかと案じてそのまま、自分もベッドへ腰掛けて、部屋が暖まるまで待とうと思ったゾロだったが、
「…ルフィ。」
 こんな彼は滅多に見ないから、内心ではそりゃあ慌てているゾロでもあって。どこかが痛いの具合が悪いのという時は、昔の彼なら…世話をかけたくないからと、無理から我慢をしてもいたが。それでは却って、酷くしてから心配させるのだという理屈が分かってか、大したことがないうちから言うようにもなっていたのに。ああ、こんな時ほど自分の鈍感さが恨めしい。気の利いた奴であるのなら、大まかでも予想がつけられるのだろうに。ただ不調なだけじゃあなくて、寂しいとか はたまたゴメンねだとか。どう思ってしょげている彼なのかまで、何となく察してやれもするのだろうに。ただただ困るばっかりな自分の不器用さが、悔しくてたまらない。………と、

  「…のね? 探してたんだ。」

 小さな小さな声がした。よく聞き取れなかったのでと、んん?と頭を奥方の顔近くへと寄せると、
「指輪。失くして、探してた。」
 小さな小さな声が、今にも涙に滲みそうな声が、そうと紡いで,それからあのね? ぎゅううっとしがみついて来て、

  「…ごめんね。」

 何とか謝ったそのまま、もう我慢も限界だったか、堰を切ったように“えくえく…”と泣き出したルフィだったのだけれども。

  “………。”

 ご亭主、頭の中が一瞬ブリザード吹きすさぶ氷原と化した模様でございます。…さては、あんた。もしかして…。
“指輪。指輪ったら指輪だよな。指に嵌めて綺麗なアレだ。”
 定義は分かるが、ルフィがこうまで困ってしまう“指輪”というのに、記憶がなかなか到達しなくって。あの、地球の裏側にいるお母様
(こらこら)、サンジから貰ったものなら、悔しいが覚えてなくとも仕方がない。だが、彼から貰ったものも一応は報告するルフィだし、それに、そんないかにもなものなら案外と覚えている自分ではなかろうか。
“俺があげたもの…ってことだよな。/////////
 うわ〜、いつだったかなぁ。/////// あ、そうだ。あれは確か一昨年のルフィの誕生日。(“
薄暑緑風”参照)
「ゾロが…初めてくれたのに。名前も彫ってあったのに。」
 そうだ、そうだ、そうだったっけ。ちょこっと小っ恥ずかしいことだったけど、お店の人からサイズはと訊かれて、ルフィが寝てる間に紙でテープを作って巻いてって、こそこそ計ってから再びお店まで運び直して。これもまたちょっち、いやいや物凄く恥ずかしかったが、名前を入れてももらったのだっけ。
「でも、あれってお前…。」
 大事にし過ぎるあまりに、一緒に外食に出るとか旅行に行くとかいう時以外は、宝物としてしまい込んでいた筈で。ゾロ自身でさえ、あまり見かけなかったほどもの“秘宝”と化していたのに…何でまた?
「急につけたくなったのか?」
 そぉっと訊くと、かぶりを振り、
「貰ったのに、隠しとくなんて、何か、勿体ないなって、思ったんだ。」
 実を言えば以前からもね、日頃からもつけてたいなって思ってた。でも俺ってそそっかしいから、絶対に失くすだろうしって予測もついてて。それで、
「それで…あのな? ペンダントみたいに、鎖に通して首から下げるって、付け方すりゃあ良いんだって。」
 それならうっかりとすっぽ抜けることもなかろうと、そうと思ったもんだから。お買い物に出掛けた先にて、しっかりとしたチェーンを買って。出先ではやばや付けてみたくてと指に嵌めてた指輪を見下ろしたところが…。
「どこかで落としたらしくって。もうなかったんだ。」
 そこから真っ青になって、そりゃあもうもう探した探した。自分が辿った道の歩いたコースを端から端まで、人とぶつかりながらも下ばかり見て探し回り。ああもしかして、気づかずに蹴られて道の端へと転がってしまったかもと思い当たって、今度は荷物を置いてすぐ、再びやはり駅前までの道を引き返し。どうかすると這うように屈んでまでして、隅から隅まで見て回ったのに、それでもやっぱり何処にもなくて。不審な探し物をしていたところから、とうとうお巡りさんに見とがめられて。真っ暗になってしまっては探しようもないでしょうからと、今日はひとまずお家へ帰りなさいと諭されて帰って来たというから。
「あのな? ルフィ。あんな指輪くらい…。」
 そんなにも高価だった訳じゃあない。時々しか身につけないのは、やっぱり柄がらじゃあなかったからかなと、ルフィという“男の子”にはやっぱ向いてない贈り物だったかななんて思ってたくらいで。貰ったものだから粗末には出来ないという、義理からならばそんなにも思い詰めてくれるなと、そうと言いたかったゾロを遮り、

  「あんなじゃないっ。ゾロが選んで、わざわざ俺にって…っ!」

 今よりまだまだ何かと不器用で、宝飾店になんて…仕事のためででもなけりゃあ、とてもじゃないが足を踏み入れることさえ気後れしたに違いないゾロだったろうに。しかもしかも、名前と“ルフィへ”なんてメッセージまで、彫ってくださいって頼みまでした代物なんだから。
「いつも付けてなかったから、大事にしなかったからって罰が当たったのかなって。そう、思って…。」
 きっと途轍もなく心細いままに、それでも懸命に、冷たい路上を探し回った彼であったに違いなく。こちらのコートを掴む手は、あちこち擦りむいていて何とも痛々しい。今が掻き入れ時の店先なんぞで屈んでいたなら、邪魔だなと怒られもしたろうにと思えば、まだ見ぬそんな相手への怒りまでもが腹につのりかかったものの、
“…怒る資格は俺にはない、か。”
 もうすっかりと元のルフィに…無邪気で屈託がなく、元気が過ぎてそそっかしくて、でも何でも許してしまいたくなるほどに明るくて。そんな彼に戻ったものと思っていたが、それはまだまだ甘かったのかも。永らくの別離を経てから再会した彼は、少しばかり…いやいやかなり、臆病な内面を抱えてもおり。ひょんなことから人とは違う身の上となった時期があったこと、よって見かけと実年例が異なる存在であるということ、もしかしてまだまだ引け目に思っているのかも…と思わせるような、何でもないことへの遠慮とか我慢とかを自身に強いる彼でもあって。
“そんなものに捕らわれないようにって、何につけ余裕でいられるような、器のデカい男にならにゃあって。”
 いつだってそれをばかり思っていたのにな。だってのに。いつだって…まだまだ足りぬと思い知らされてばかりいるのが実際で。
「ごめんね?」
「いや。ルフィが謝ることじゃない。」
 こんなに手を傷め、心も痛めて。さぞかし心細かっただろうに、陽が暮れたことにさえ気づかぬまま、必死で探して探していたルフィ。きっと…ゾロから叱られるとか、がっかりさせるからとかそんな風に思ったからじゃあなく、大切なものを失うということの怖さから衝き動かされて。それでどうしても見つけなきゃと思ってしまった彼だのに違いなく。
「あんなものとはもう言わない。だがな? もう怖がらないで良いから。…な?」
 この腕の中に余るほど、何とも小さな少年の肢体を、これ以上の力を込めることで責めないよう壊さぬよう、だけれど…ありったけの想いを込めて抱きしめるゾロであり。ひんやりと冷えきった頬に気づいて、
「風呂に入った方がいいな。手当てもその後だ。」
「うん。…あ、ごはん…。」
 皆まで言わさず、
「どっかに食べに行こうか? ああいや、俺が久し振りに玉子焼きでも作ってみっか?」
 好きだったろうがと小さく笑って見せれば、途端にルフィの口許がほころぶ。
「今じゃあ俺の方が上手だぞ?」
「お、言ったな?」
 そういや、俺が知らなくて初めて食べたって料理も、そりゃあたくさん覚えてくれたもんな。そだったっけ? 平たいパスタとミートソースを順番こに重ねたのとか、おかきみたいに揚げた飯に八宝菜のあんをかけたのとか。凄いよなぁと感心しつつ、小さな赤ちゃんを抱っこするみたいに、頭の後ろへ大きな手のひらを広げてやって。もっと間近にまでと引き寄せるように抱え直しながら、柔らかい髪へと口許を埋める。寒風にもみくちゃにされたか、いつもよりもっと まとまりの悪い髪。この寒空に汗をかきつつ、一生懸命探してた、そんな名残りもありありとするのが、それはそれは愛おしい。やっと暖まって来たのだろう、強ばっていた小さな体が少しは萎えて。やっとのこと、甘えかかるように凭れて来てくれたのへ。それこそ柄ではなかったが、ん〜っと頬擦りなんかしてみれば、擽ったいようという笑い声が立ったから。ああもう大丈夫かなと思いながらも、何だか離れ難くてそのままでいると、

  ――― ぴんぽ〜ん♪

 玄関からのチャイムが軽やかに鳴り響く。チッと舌打ちしたくもなったが、今のチャイムはすぐそこのドアからのもの。下の階からのものじゃあないので、ご近所さんである公算が高く。だってのにお行儀悪くも無視なんてしちゃあいけないと思ったか、ルフィがもぞもぞ立ち上がりかかったので。
「いいよ。俺が出る。」
 ここで待ってなさいと奥方をベッドへ降ろし、立ち上がったついで、まだ来ていたコートを脱ぎつつ玄関まで向かえば、

  「あの、夜分恐れ入ります、風間です。」

 おやや。ルフィがずっと仲よくしてもらっている、ご近所の小学生の男の子じゃあありませんか。今のご挨拶の行き届き方といい、本当によくよく気のつくお家で大切に温かく育てられている子なんだなぁと、常々感心してやまないお行儀の良いお子さんで、
“…確かに、今頃どうしたのかな?”
 思いつつもそのまま動作は止まらず、壁のスイッチで明かりを灯し、三和土へと踏み出しながらドアを開けば。胸元にアメリカのフットボールチームのワッペンのついたスカジャンを羽織って、ゾロにも見慣れたお顔の小さな男の子が立っている。
「こんばんわ、ロロノアさん。」
「ああ、こんばんわ。」
 ペコリと頭を下げた子へ、こっちも釣られて小さく頷いて見せる。すると、彼が差し出したのが自分の拳。何だか…彼が可愛がっているシェルティのチョビくんの“お手”のポーズにも似ていたが、ゾロには何のことやら分からずに、
「???」
 小首を傾げて見せたところが、
「あの、これ…。」
 くるりと手の甲を下へと返し、ふわりと広げたその手のひらに乗っていたものこそは、

  「………ああ〜〜〜〜っっ! 俺の指輪〜〜っ!」

 いつの間にか、ご亭主の背中の後ろについて来ていたルフィが叫び、風間くんがにっこりと笑った。
「ああ、やっぱりそうだったんですね。」
 内側に“Luffy”って彫ってあったし、何より、
「これ、チョビがさっき、階下
したの植え込みのところで見つけたんです。」
 お散歩から帰って来て、いつもなら真っ直ぐに自分の住まいのある棟の入り口へ向かうのだけれど、今日はお買い物をお母さんから頼まれていたのでと一階のコンビニに寄ることとなり。入り口の傘立てにリードの端の輪っかを引っかけてお外で待たせたチョビが、お店から出て来ると、何やら熱心に植え込みの中へとお鼻を突っ込んでおり。
「どうしたのかなってボクも覗いてみたら、これが光ってたんですよ。」
 きっとルフィさんの匂いがしたから、それで気になって離れなかったチョビだったんだと思います。そうと言ってからどうぞと差し出され、とりあえずは二人の間にいたゾロが受け取って。それじゃあ失礼しますと帰ろうとする風間くんへ、ルフィもゾロもどれほどお礼を言ったことか。超特別なコネでもって(…ぷふvv)即日便にて届けてもらった最新鋭のPCセットと、チョビにも分けてねと松坂牛の詰め合わせとを、風間くんのお家まで“お礼に”って持って行ってのご挨拶をしたのは翌日のお話だけれども。やっと戻って来た指輪、あらためて旦那様からその手へと贈っていただいて。

  ――― 良かったよう〜〜。/////////
       あれだな、ルフィがいい子にしてたから戻って来たんだ。
       うう………。

 これが日頃だったなら、人を子供扱いしてと怒るところだが、今だけはもうもう、何にだって“うんうん”って頷いてしまいそうな小さな奥方であり。リビングのソファーに寄り添い合っての、しばしのひととき。小さな指に光っているシンプルな指輪を眺めやり、うっとりと温もり合ってた二人だったのでありました。


  ……… どうせ5分もしないうち、
       安心したらお腹が空いた…なんて、
       言い出すだろう奥方ではありましょうが。
(笑)






  〜Fine〜  05.12.29.〜12.30.


 *どうも何だか、このタイトルというか“Stray(迷子)”というフレーズが、
  殊の外に好きな筆者であるらしく、
  あっちこっちでよく使っておりまする。
  確か、同じシリーズの中で重複してたこともあったんじゃあなかったっけ?
  道に迷う、はぐれる、離れ離れになる。
  確かに辿っていたものがあったからこそ、
  傍に寄り添っていたものがあったからこそ、
  それを見失ったのが怖い…訳で。
  じゃあ最初から独りぼっちな場合は“迷よい子”ではないのでしょうか。

 *どうやらこれが当年最後の更新となりそうです。
  この一年、相変わらずにドタバタと落ち着きのなかった管理人でございましたが、
  皆様には可愛がって頂き、本当に嬉しい一年を過ごさせていただきました。
  新しい年も何とか頑張って、
  甘甘な彼らのお話を拙いながらも綴ってゆきたいと思います。
  どうかよろしくお願いいたしますですvv

ご感想などはこちらへvv**

 back.gif